コムスタカ―外国人と共に生きる会

中国残留孤児の再婚した妻の娘2家族7人の退去強制問題


元中国残留孤児井上鶴嗣さんの再婚した妻の娘2家族7人の退去強制問題報告
―退去強制令書発付処分等取り消し訴訟控訴審が、12月15日に結審し、判決言い渡しは、2005年3月7日となりました。――

中島真一郎
2004年12月23日

1、控訴審のこれまで経過

2003年3月30日の一審敗訴後の福岡高裁での控訴審では、2004年2月23日の第4回口頭弁論で結審が予定されていました。しかし、控訴人らの入国申請時の提出書類に「日本人の実子」の偽装がなかったことを示す井上鶴嗣さんの戸籍謄本など新証拠を提出し、文書提出命令の申し立てを2004年1月30日に行なったところ、2月23日の口頭弁論期日は取り消されました。そして、高裁の裁判官が控訴人の申し立てた文書提出命令の必要性を事実上認め、拒否する被控訴人に提出を促し命令を出す寸前で被控訴人が任意提出してきたため、文書提出命令申し立ては目的を達したとして今年7月に取り下げました。そして、高裁からは、8月末までに新たに提出された証拠に基づく主張を準備書面として提出すること、次回第4回口頭弁論は、10月18日(月)午後1時30分とすることが決まりました。同年8月下旬に提出されてきた被控訴人(入管)の準備書面4では、「本件裁決処分は広範な自由裁量が法務大臣に認められていること、大阪入管が在留特別許可を認めた事案と本件を単純に比較することは無意味である。原審判決は正当であり、本件控訴に理由がないことが明白であるので、速やかに弁論を終結し、本件控訴を棄却するべきである」との従来どおりの主張を繰り返してきました。これに対して、控訴人らは準備書面8で、新たに提出された証拠をもとに「控訴人らに処分の前提たる偽装行為がなかったこと、大阪入管の在留特別許可が認められた事案と比べて、差別的取扱いをすべき合理的理由がなく、本件処分は裁量権を濫用・逸脱した違法なものである」という主張を提出しました。

そして、9月上旬に、2004年の通常国会(第159回)の衆議院と参議院の法務委員会での入管難民認定法改定の上陸許可取り消し処分についての入国管理局長の答弁の掲載された議事録を新証拠として提出し、2001年11月5日の控訴人らの摘発の根拠となった上陸取り消し処分の違憲―違法性と、その処分を前提に一連の手続きとしてなされた法務大臣の不許可の裁決や主任審査官の退去強制令書発付処分が違法である」と主張した準備書面9を提出しました。

9月24日の進行協議では、10月18日の第4回口頭弁論で、控訴人が準備書面の陳述とともに、証拠として提出したMBSのビデオ(大阪の尚姉弟さん家族の問題を特集したニュース報道)と、FBSのビデオ(井上鶴嗣さんの家族の問題を2001年11月から12月下旬の提訴までの1ヶ月間を特集してニュース報道した)各8分間程度の法廷での上映を要求したところ認められました。また、控訴人の準備書面9への反論を被控訴人が10月初旬までに提出することになりました。被控訴人は速やかな結審をもとめ、裁判官も証人採用をせず、次回11月29日で結審したという意向を示しました。これに対して、10月初旬に提出される被控訴人の準備書面への反論を提出する意向であり、結審の場合には、最終準備書面を作成して提出したいので、次回11月29日の結審に強く反対しました。その結果、次回では結審せず、次々回として11月29日が予定されることになりました。準備書面9で、新たに主張した上陸許可取り消し処分の違憲―違法性の問題に裁判官が 関心を示さなかったことは予想外でした、この時点ではその内容を読んでいなかったか十分理解していなかったようです。

この準備書面9に対して、10月1日に被控訴人から「上陸許可処分は合憲―合法なものであること、上陸許可取り消し処分の瑕疵は、本件裁決や本件処分に継承されない」と主張する準備書面5が提出されてきました。これに対して再反論する準備書面10と、本件処分の前提となっている上陸取り消し処分の要件や根拠などに関する文書の提出命令、及び福岡入国管理局長の証人調べを求める上申書を10月15日に提出しました。また、被控訴人の準備書面5で引用されている2001年11月5日に収容された後での入管職員による井上菊代さんや井上由紀子さんの供述調書などへ反論する準備書面11を第4回口頭弁論当日の10月18日午前中にて提出していました。

2、控訴審第4回口頭弁論報告

退去強制令書発付処分等取り消し訴訟控訴審第4回口頭弁論が、2004年10月18日午後1時30分より、501法廷で始まりました。第3回口頭弁論が2003年12月でしたから、実に10ヶ月ぶりの裁判の再開となりました。この日は元中国残留孤児井上鶴嗣さんの家族、友人、支援者、遠く奈良県や大阪府など関西からの支援者の方々も含めて約70名が傍聴に来てくれました。

福岡裁判所司法記者クラブの撮影許可申し込みを裁判所が許可し、午後1時20分より10分間法廷が閉鎖され、FBSが裁判の冒頭2分間(いわゆる頭撮り)撮影を行いました。この日は地元熊本のテレビ局RKKからもカメラクルー同行で初めて取材にきていました。

第4回口頭弁論では、まず石塚裁判長が、10ヶ月ぶりの審理の再開となること、この間に提出された控訴人側の準備書面4−11の8通と意見書1通、被控訴人(国)から提出された準備書面3−5の3通と意見書2通の双方の主張の書面の提出を確認しました。そして、控訴人の代理人の大倉弁護士が控訴人から提出した準備書面8−10で記載されている「被控訴人井上菊代さんと井上由紀子さんの入国時の提出書類に井上鶴嗣産の実子を偽装した事実がなく、入国経緯に違法性がなかったこと、2001年11月5日に控訴人7人が摘発―収容された上陸許可取り消し処分が違憲―違法なものであり、原審判決は取り消されなければならない」という内容をわかりやすく約40分にわたって陳述しました。続いて、控訴人の代理人の大塚弁護士から、準備書面11で記載されている「井上菊代さんと井上由紀子さんの実子を偽装したと認める供述調書や同趣旨の井上鶴嗣さんの供述は、取調べに当たった入管職員の誘導と作文であり、供述調書の信用性がないこと」を主張する反論内容を約15分にわたって陳述しました。被控訴人は、「提出した準備書面を陳述した」という一言で終わりました。

次に、石塚裁判長は、これまで双方から提出されている証拠の確認を行い、その後9月24日の進行協議での合意に基づき、控訴人が提出したビデオテープ2本の法廷でのスクリーンを使っての上映がおこなわれました。まず、最初に大阪のMBSのビデオ(大阪の元中国残留孤児吉岡勇さんの再婚した妻の子である尚姉弟さん家族の問題を特集した2003年3月12日放映のニュース報道  約8分間)が、続いて福岡のFBSのビデオ(井上鶴嗣さんの再婚した妻の娘2家族7人の問題を2001年11月の収容から仮放免、12月17日在留特別許可不許可処分までの約1ヶ月間を特集して2001年12月下旬放映のニュース報道 約8分間)の上映がおこなわれました。ビデオテープの証拠採用だけでなく、法廷での上映が認められたことはきわめて異例ですが、大阪入管から2003年6月に在留特別許可が認められた元中国残留孤児吉岡勇さんの再婚した妻の子である尚姉弟さん家族の問題と、井上鶴嗣さんの再婚した妻の娘2家族7人の問題が全く同じ問題であり、前者には在留特別許可が認められ、本件である後者は不許可にされることの理不尽さがあらためて浮き彫りになりました。高裁の裁判官3名も真剣に見入っており、井上さん家族の絆の強さや家族としての実体があることや入管のズサンな審査内容など、書面や証言では表現できない映像の力を印象付けられました。特にFBSのビデオは最後にコメンテーターの斉藤教授(九州大学名誉教授 憲法)が「だから単にその血筋がその父親とのちがつながっていないかどうかということじゃなくて、家族の実態としてね、どういう生活をしてこられたか、これを基準に考えるべきだろうと思うんですけれどね。―――少なくとも在留特別許可がもう法務大臣から退けられてしまったわけですから、こうなれば強制送還ちょっとまったということで、その上で行政訴訟でね、きちんとさっき申し上げてそういう点の配慮をした上での法の運用をというものに変えていかなきゃいけないだろうとおもうんですけれどもね。」という言葉で終わったのは、高裁の裁判官へ直接投げかけているようで印象的でした。

そして、今後について石塚裁判長は、「裁判所としては。これまで法務大臣の在留特別許可不許可処分に裁量権の濫用があったかどうかが本件の重要な争点と考えてきましたが、控訴人から提出された2004年10月15日付準備書面により、2001年11月5日の上陸許可取り消し処分の問題も本件の重要な争点であると判断しています。この新たな争点に対する2つの見解を、被控訴人に対して裁判所として求めます。一つは、控訴人の準備書面で述べられている2004年の入管法改定により新たに設けられる在留資格取り消し制度と、これまでの上陸許可取り消し制度との両者の法律的関係がどうなっているのか、2点目は、本件での2001年11月5日時点での上陸許可取り消し処分の手続きがどのように行われたのかについてです。裁判所としては、当初は11月29日の次回で結審する予定でしたが、被控訴人の裁判所から求めた2点についての見解の回答をまって、今後の審理をどうするかを決めることにします。控訴人から申請のあった文書提出命令や4人の証人申請についても、その後に判断することにします。なお、裁判所としては、被控訴人への回答への控訴人からの反論などもあるかと思いますが、次回11月29日の第5回口頭弁論で結審する予定は、すべて撤回したわけではありませんので、これまでの主張や証拠でまとめられるものについては、最終準備書面を準備しておいてください。」と宣言しました。次回11月29日で、当然結審となると思い込んでいた被控訴人の訟務検事(女性)は、裁判官の言うことが理解できないようで、あわてて「次回までに何を回答すればよいのですか、もう一度いってください。」と確認していました。そして、次回の第5回口頭弁論は、11月29日午後3時30分からと決まり、被控訴人はその2週間ほど前の11月15日までに裁判所からも求められた2つについて回答してくることになり、この日の法廷は1時間15分ほどで終了しました。

 その後弁護士会館3階のホールで、午後4時半過ぎまで報告集会をおこないました。

3、2004年11月29日 行政訴訟控訴審第5回口頭弁論報告

退去強制令書発付処分等取り消し訴訟控訴審第5回口頭弁論が、2004年11月30日午前10時より、501法廷で始まりました。この日は元中国残留孤児井上鶴嗣さんの家族、友人、支援者、遠く関西からの支援者の方々も含めて約40名が傍聴に来てくれました。 第5回口頭弁論では、まず石塚裁判長が、この間に提出された控訴人側、被控訴人(国)双方の主張の書面の提出を確認しました。前回の10月18日の第4回口頭弁論で被控訴人に11月15日までに、裁判所が回答するように二つの質問(@陸許可取り消し処分と在留資格取り消し処分の法律上の違い、A2001年11月5日の上陸許可取り消し処分がどのような手続きになるか)に対する回答となる被控訴人の11月18日付第6準備書面と、裁判官の強い意向で控訴人側に事前に提出が求められた11月26日付控訴審での控訴人側の主張の総まとめとなる準備書面12及び文書提出命令について陳述しました。控訴人の代理人からは、この書面の陳述に際して、今後被控訴人の第6準備書面への反論となる準備書面13の提出を予定していること、上陸許可取り消し処分の判断根拠となった第三者甲の資料について文書提出命令、そして審理の続行を求めました。しかし、石塚裁判長は、今後の進行について、前回口頭弁論で上陸許可取り消し処分が本件訴訟の一つの論点であることを理解している旨はのべましたが、本件訴訟の審理が最終段階にきていること、控訴人側にも最終準備書面の提出を用意しておいてほしいと前回告げていることを理由に、被控訴人の第6準備書面が提出期限の11月15日より3日遅れ11月18日となった事情を考慮して、次回期日を12月13-16日の間に決定し、これを結審としたい意向を示しました。これに対して、控訴人の代理人から、「文書提出命令や被控訴人への上陸許可取り消し処分手続きについての求釈明はどのように判断されるのか」と裁判長へ問いただしました。石塚裁判長は、「求釈明については、裁判所としてはこれ以上求めません。被控訴人側で、釈明しないことが不利になると思われ、釈明した方がよいと思われるのなら任意で釈明してください。文書提出命令については、追って裁判所としての判断を示します」と回答しました。

そして、控訴人の準備書面13の提出期限を12月14日とすること、次回が事実上の結審となることを前提に控訴人の意見陳述を含めて第6回口頭弁論期日は、12月15日午前10時から午前11時までの約1時間として、501大法廷が開いていないので他の法廷で行うが、傍聴者ができるだけ多く入れるように補助席を用意することをつげ、期日が決まりました。石塚裁判長の年内結審の意向だけが強く印象付けられる訴訟指揮でした。

控訴人は、11月26日付で、被控訴人の第6準備書面に反論する準備書面12を提出し、原審の事実認定が事実誤認であること、上陸許可処分の違憲―違法性、法務大臣の裁決処分の違法性を主張し、処分の判断資料として新たに明らかになった第三者甲の資料の文書提出命令や上陸許可取り消し処分の手続きについて求釈明を求めましたが、12月15日午前10時からの次回第6回口頭弁論で事実上の結審となることになりました。 12月14日までに被控訴人の第6準備書面への反論及び最終準備書面となる準備書面13を作成提出し、その陳述と控訴人の意見陳述を行うことになります

4、2004年12月15日控訴審第6回口頭弁論の報告

(以下の第6回口頭弁論報告は、私が仕事の関係で傍聴できなかったので、支援団体の「強制収容」問題を考え、子どもの学びと発達を守る熊本の会代表である井野幸子さんからの報告です。)

12月15日、師走、学期末のたいへん忙しい中、また、前回の口頭弁論から半月しか間が開いていない中に、60名ほど傍聴に集まっていただきました。まず はじめに、裁判官から準備書面13の内容についてはどうするかという問いに対して、控訴人弁護士から、控訴人の意見陳述の後、最後に補足したいと答えがありました。次に裁判官から被控訴人にも何かないか尋ねたところ、「特にございません」と答えがありました。

 控訴人の意見陳述については順番と陳述の方法について確認があった後、井上菊代さ んと子ども二人、井上浩一さんと井上由紀子さんと子ども二人の順で陳述しました。菊代さんは涙ながらに「私のお父さん、本当のお父さん、小さい頃から一緒に暮らしてきた。・・・中国に帰っても子ども達は生きていけない」と訴えました。

子ども二人も、それぞれ「日本に来たときとてもつらい思いをした。・・・がんばってきたのになぜ日本で暮らせないのですか。・・・日本に残りたいです。安心して暮らしたいです。」と、また、「今中国に帰ってもどうやって生きていけばいいのかわからない。・・・日本で暮らしたいです。」ときちんと読み上げました。井上浩一さんも中国語ではっきり訴えられ、子どもがそばに立ち、日本語で訳しました。「一年十ヶ月の収容が、体に大きなショックを与え、視力、聴力が落ちていること。・・手続きに偽装がないこと。」などを訴えられました。井上由紀子さんは「実子であると書類を作ったことはない。・・・1年10ヶ月の収容が、夫の体と心に大きなショックを与えた。・・・二人の子どもの顔からは毎日苦痛、将来への不安絶望が見える。・・・入国管理局はどうしてこんなにいい加減なのか。」と中国語で言い、子どもが訳しました。

子ども二人は、気迫のこもった、勢いのある意見陳述でした。裁判官は圧倒されて、聞き入っているようすでした。11月5日の朝の様子・・・別人のように笑顔が消えたおにいちゃん、すっかり健康をなくしたお父さん、無理して働くお母さんのことを陳述、「入国管理局のやり方は卑怯です。・・・この3年間で私は更に成長して、家族愛せて、これが幸せです。私は日本に残っておばちゃん、おじちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんのそばで暮らしたい、夢にむけてがんばるので、日本で一番役立つ人間になります。」と力強く言い切りました。本人も、自分自身を見直したほど、とても聞いているものに感銘を与えました。

 控訴人の弁護士からは今、控訴人本人の心の叫びを直接聞かれた、何が妥当な判決か は当然理解してもらっていると思う。妥当な判決を導くための理論もそろえた。是非公正な判断をして欲しい。とありました。被控訴人からは何の書類や陳述もありませんでした。裁判長は、本件控訴審の結審を宣言し、次回は2004年3月7日午後3時30分から判決期日を言った後で、文書提出命令については、理由は判決文の中で触れるといわれました。

5.控訴審が結審し、判決を迎えるにあたって、

2001年12月25日の提訴から3年、2003年3月31日の原審(福岡地裁)敗訴判決から約1年9ヶ月間に6回の口頭弁論をへて控訴審は結審し、2005年3月7日にいよいよ控訴審判決を迎えることとなりました。日本人や日系人の「偽装」などを理由とした上陸許可取り消し処分は年間平均600人以上の摘発が行われており、本件もその一つでした。

控訴審では、当初原審判決(有利な事情とみなされた日本人の連れ子であること、家族の実体があること、入国後平穏に暮らしていることよりも、不利に判断された入国経緯の違法性を重視して訴えを棄却した)の比較考量論を土台として、中国残留孤児の歴史性や日本政府の責任、そして、退去強制が与える深刻な被害、とくに子どもの権利などを重点として立証しようとしましたが、福岡高裁の裁判官は井上鶴嗣さんの再度の証人採用を認めただけで、2003年12月15日の第三回口頭弁論で、次回2004年2月23日第4回口頭弁論で結審の意向を示しました。結審されれば、敗訴必至と思えたため、控訴人側弁護団として立証方針を見直しました。

2003年6月の大阪入国管理局長より在留特別許可が付与された元中国残留孤児の再婚した妻の子の2家族9人のケースを参考に、控訴人の入国経緯に違法性がなかったことに立証の重点を転換しました。控訴人の入国時の提出書類に「日本人の実子」を偽装していなかったことを示す新証拠として井上鶴嗣さんの戸籍謄本等の提出や、被控訴人から入国申請時の提出書類に関する文書提出命令申立を2004年1月30日に行いました。その結果、2月23日に予定されていた第4回口頭弁論期日は取り消され、被控訴人が文書の提出を拒否したため、約半年間の文書提出命令を巡る攻防が行われました。結局、裁判所の文書提出命令発令寸前で被控訴人が任意提出に応じてきて、実質この攻防は控訴人の勝利に終わりました。

また、2004年9月には、控訴人側で、従来行われてきた上陸取り消し処分と新設される在留資格取り消し制度の関係や違いを説明した法務省入国管理局長の答弁が記載された改正入管難民認定法(2004年6月成立))の衆参両院での各法務委員会の議事録を新証拠として提出しました。本件法務大臣の裁決(在留特別許可申請不許可)や主任審査官の退去強制令書発付処分の前提となっている2001年11月5日の上陸許可取り消し処分の違憲・違法性を主張しました。

2004年2月23日の予定が取り消された第4回口頭弁論は10月18日に変更となり再開されました。そこでは、控訴人が証拠として提出した大阪のMBSと福岡のFBSが製作報道した「中国残留邦人の家族の退去強制問題」を録画した2種類のビデオテープが証拠採用され、法廷内で上映されました。また、石塚裁判長は本件訴訟の争点として法務大臣の裁決に裁量権の濫用があったか否かということに加えて、上陸許可取り消し処分についても重要な争点であることを認め、被控訴人に裁判所から2点の質問への釈明を11月29日第5回口頭弁論の2週間前の11月15日までに求めました。

被控訴人は、その回答を3日遅れの11月18日にようやく提出し、2001年11月5日の上陸許可処分の判断資料としたものを、第三者甲からの手紙と事情聴取書及び2001年8月15日の井上鶴嗣さんからの事情聴取のみであることをあきらかにしましたが、第三者甲の名前や事情聴取書の提出は公表できないと主張しました。控訴人は、井上鶴嗣さんの事情聴取は被控訴人の誘導と作文によるものに過ぎず、「日本人の実子を偽装する行為」の存在しない本件ではその要件となりえないこと、上陸許可取り消し処分の違憲性・違法性をあらためて主張し、第三者甲の事情聴取書の文書提出命令や求釈明を申し立てました。しかし、石塚裁判長はこの申し立てを認めず、控訴審は12月15日第6回口頭弁論において、控訴人7人の意見陳述を行い、結審しました。

本件の控訴審では、被控訴人は一貫して早期結審を主張して来ましたが、一般的に原審での主張の繰り返しが多い控訴審ですが、2004年に入り二つの新証拠を提出し、入国経緯の違法性の不存在や上陸許可取り消し処分の違憲・違法性という新たな争点で主張立証し、裁判官も比較的丁寧に控訴人の主張を認め、文書提出命令、控訴人提出のビデオテープの証拠採用と法廷での上映、控訴人7人の最終意見陳述を認めるなど、控訴人側の主張・立証を尽くさせる訴訟指揮をとってきたと思えます。その意味では、かなりの程度被控訴人を追い詰め、控訴人の立証が求められる法務大臣の「広範な裁量論」の土俵だけでなく、逆に被控訴人の立証が求められる「上陸許可取り消し処分」の違憲・違法性の土俵での判断を裁判所に迫ることができ、原審判決を取り消させる逆転勝訴へむけた主張や立証ができた手ごたえを感じています。

しかし、福岡入国管理局長等の証人採用や第三者甲の文書提出命令を裁判官は認めませんでしたし、「偽装」をめぐる上陸許可取り消し処分による退去強制者は年間600人(最近5年間の平均)以上いますが、被控訴人が「豪語」しているように、いまだ一件の敗訴判決もないという入管行政に対してたいへん「優しい」司法の「厚い壁」の現状を考えると必ずしも楽観できません。

2001年12月17日に7人の在留特別許可が法務大臣の裁決により不許可となって以降、行政訴訟で勝訴する以外にこの2家族7人を救済できる手段がないと考え、この3年間取り組んできましたが、来年3月7日の判決は、勝訴あるいは敗訴のどちらもありうるというのが正直感想です。2004年12月15日の結審から約3ヶ月の期間をおいて2005年3月7日に判決期日を指定したことは、控訴審判決が原審判決の追認だけという簡単なものでなく、原審判決の大幅な書き直しや上陸許可取り消し処分への踏み込んだ判断という内容を含む判断がなされる可能性を期待させます。

元中国残留孤児井上鶴嗣さんの再婚した妻の娘2家族7人の退去強制問題
退去強制令発付処分等取消訴訟控訴審 判決公判のご案内

時     2005年3月7日(月)午後3時30分〜
所     福岡高裁 大法廷 501 
判決言い渡し後、弁護士会館 3階ホールで 報告集会をします。

※「元中国残留孤児井上鶴嗣さんの再婚した妻の娘2家族7人の退去強制問題―行政訴訟控訴審の争点―」も合わせてお読みください。


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